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2023.11.18コラム

みなさんご存じ? 日本が誇る国民的ゲーム、ドラクエこと「ドラゴンクエスト」。東京オリンピックの開会式でBGMが流れたことでも話題になったので聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。そのゲームのプレイ中、特定の場面で流れるメッセージがこの 『へんじがない。ただの しかばね のようだ』になります。

 このコラムをご覧の皆様の中にはご存じない方も多いかもしれませんが、今回はあえてこの話から進めさせていただきます。

 さて、ゲームの話に戻ります。

 ご存じない方のために簡単に説明いたしますと、この「ドラゴンクエスト」というゲームは主人公が目的を達成するために数々の敵と戦い経験値やお金を稼ぎつつ多数のイベントをこなし最終的には魔王的な何者かを倒してエンディングを迎える、といったつくりになっております。(異論がある方はどうぞご寛容にお願いいたします)

 その中で、ダンジョンや廃村、牢獄などのマップ上にある骸骨のグラフィックに話しかけることで、冒頭にもあります『へんじがない。ただの しかばね のようだ』のメッセージをみることができるのです。要は、いくつかあるゲーム内の雰囲気づくりの一つというわけです。

 考え方によってはご家庭にあるインテリアのようなものとも言えますが、もしも、それらの骸骨にそれぞれストーリーがあるのだとしたらどうでしょうか? 

 ダンジョンの探索中の事故。村の流行病。厳しい獄中生活の中で…。そのようなバックグラウンドを考え、思いを馳せることで、ただの骸骨のグラフィックにも人格と物語が生まれます。はたして彼らはそこで命を落とすことを知っていたのでしょうか? おそらく、彼らの多くはそうではなかったと私は思います。

 自らの正確な寿命を知っている人はそれほど多くはない、というのは周知の事実です。そして、多くの人は身近な方を亡くした時に、命の儚さを知るのだと思います。

 ちなみにですが、私は命の儚さを考えるうえで職業柄、お通夜やご葬儀の場面を思い浮かべてしまいます。頭に浮かぶ場面は様々ありますが、今回はその中の一つをご紹介させていただこうと思います。

皆様は命の儚さを綴った文章として『白骨の御文書(御文)』というのがあるのをご存じですか? 

 この「御文書(御文)」とは浄土真宗において通夜をはじめとしたさまざまな場面で読まれるもので、浄土真宗の中興の祖ともいわれる第八世蓮如上人が浄土真宗の教えをわかりやすく信者に伝えるために簡単な文章で書き示した手紙のことです。その数はおよそ80通にものぼります。

 布教のために簡単な言葉で書いた「御文章(御文)」の中でも、『白骨の御文書(御文)』はとくに有名なものなのでご存じの方も多いかもしれません。

 

 世の無常について書かれているこの文章の中に「朝には紅顔あって夕には白骨となれる身なり」という一節があるのですが、今は血色の良い「紅顔」であってもわずかな時間のうちに死んで白骨となってしまうほどに命は儚いものであることが書かれており、命の大切さに気付いて阿弥陀如来をたより、念仏を唱えるべきことが記されています。

 かずやコスメディアの斎場のある玉名、荒尾、大牟田地域でも浄土真宗の通夜の際によく読まれています。(例外もあります)

 通夜という身近な方を亡くした状況で聞くことになるこの『御文章(御文)』は多くの方々に命の大切さを教えてくれますが、実は何気ない日々の中にも命の尊さに気づく場面はたくさんあるのかもしれません。

 「ドラゴンクエスト」に限らず、普段から我々が触れる様々なものに、実は深いメッセージを見出すことができるのかもしれませんね…考えすぎでしょうか?

 

かずやコスメディア 北原


2023.11.1コラム

日に日に秋が深まる季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

わたくしは今年4月に入社し半年が経ちました、まだまだ新人でございます。葬儀社というものは、とても奥が深く、特殊な業界だなと感じつつも、日々学びと発見があり多くのチャレンジを繰り返しながら、

早く一人前となれるよう毎日勉強に勤しんでおります。

 

そんなある日、先輩と勉強をする機会があった際に、一つの質問も投げかけられました。

「精進料理」

これはお葬式に携わったこと、参加されたことがある人なら一度は耳にしたことがある単語ではないでしょうか。精進料理、精進料理、と何気なく言っていますが、この「精進」とはどういう意味ですか?

精進料理の精進は…精進…ですよねぇ。。。私も何気なく使っておりましたが、改めて言われると何と答えて良いのか言葉が詰まってしまいました。

 

 そこで今回はこの「精進」について詳しく調べてみることにしました。

 

仏教界での「精進」の意味には、

「雑念を捨てて、身を清めて一心に修行すること」このようなことを指すようです。

これは仏道を勇敢に実践し続けることの意味から転じ、世俗の生活を捨てて仏門に入ることや、斎などの一定期間、言語・行動・飲食を制限すること、身心を浄めて不浄を避けること、

また、魚・肉類や美食を止めて菜食や粗食すること、などを意味するようになりました。

 

このように一定期間身心を浄める意味から、「精進潔斎」「精進日」などの言葉が現れ、魚・肉類を避けた菜食料理のことを「精進料理」「精進物」などと言い表すようになりました。この精進の期間に入ることを「精進入り」といい、

本来であれば四十九日法要の後に設けられる食事の席のことを「精進あげ」「精進落し」と言います。四十九日法要までの間は、精進料理のみを食するなど喪中よりも更に厳しく慎みある生活をして、故人の供養に専念する期間とされます。この期間が終わって日常生活に戻る機会として設けられるのが精進あげ、精進落しという飲食の席です。

しかし現在はそのご家庭によって様々な理由があり、この期間は短縮されている場合が多く、火葬後には一つの区切りとして、精進あげ、精進落しを行うことも多くあるように感じます。また初七日法要後に、精進あげ、精進落しを行うこともあります。

 

現在では仏教における修行や心の持ち方の意味から派生して、一般的に我々が使っている

「一生懸命に努力する」

「精神を一つのことに集中して打ち込むこと」ということでも使われます。

 

 このように日本では皆様が普段何気なく使っている言葉でも、元を辿れば仏教の教えが由来している、なんてものが幾つも存在いたします。そんなちょっとした発見も、気づいた時には何だか嬉しく感じてしまいますよね。

 

お付き合い頂きありがとうございました。

わたくし自身、これからも先輩方の遠い背中を追いかけながらプロとしての自覚を持ちつつ

「日々、精進して参ります」

 

かずやコスメディ 上原


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