お知らせ

2023.11.29コラム

【実るほど頭を垂れる稲穂かな】

長〜い残暑も終わりやっと秋が来たかと思えば、暦の上ではもう冬の到来。近年、季節感は何処へやら・・・

 

つい最近、黄金色に輝く稲の収穫の光景を見ているとあの有名な句「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が過りました。

この言葉はとても有名ですが作者は不明のようです。またこの句は俳句だと思っていましたが、実はことわざに部類分けされているようです。凄いですよね。こんなに有名なことわざが作者不明とは・・・

 

ご存知の通り、このことわざの意味は「学問や技能が深まると、他人に対してますます謙虚になること。徳のある優れた人物ほど謙虚であること」の例えとして使われています。

逆に言うと謙虚さがない人は学問も技能も徳も積んでいない現れとなりますかね・・・あ〜精進、精進・・・

 

仏教用語でよく使われる「徳」とは一般的には身についた品性。社会的に価値のる性質。善や正義に従う人格的能力。とありますが、仏教では「人や世のためになる良い行いのこと」を言うそうです。

 

そう言えば数ヶ月前、休みの日に妻と散歩がてらドライブに出かけた際、「孔子公園」という案内板を目にし、「孔子?」なぜこんな所に「孔子」の名があるのか気になって立ち寄ってみました。私も「孔子」と言う人物が大昔の中国の偉人であることくらいしか知りませんでしたが、その足跡はとても偉大な人物でした。

なんと、あのお釈迦様と同じ時代に存在していたのです。

「孔子」は紀元前551年生まれ、「お釈迦様」は紀元前564年生まれ、お釈迦様誕生の13年後に孔子が誕生とは何とも驚きを感じました。

何故ならお釈迦様はインドで「仏教」を開き、孔子は中国で「儒教」の元となる「論語」を説いてきた方です。紀元前の時代に人々に宗教や論語を通して道徳やモラルを教えて治安を守り文化の発展を今に繋げてこられる偉人が二人も現れたとは・・・

ここまで行けば、仏の境地でしょうが我々凡人にとって徳を積むとはこう言った教えを守り、後世に繋いで行くことなのかな〜なんて思いながら、まだまだ実ってないし、頭も垂れ始めてもなく、悪い意味で青々と茂っております。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」これからも日々精進致します。

 

かずやコスメディア田中 英太郎


2023.11.18コラム

みなさんご存じ? 日本が誇る国民的ゲーム、ドラクエこと「ドラゴンクエスト」。東京オリンピックの開会式でBGMが流れたことでも話題になったので聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。そのゲームのプレイ中、特定の場面で流れるメッセージがこの 『へんじがない。ただの しかばね のようだ』になります。

 このコラムをご覧の皆様の中にはご存じない方も多いかもしれませんが、今回はあえてこの話から進めさせていただきます。

 さて、ゲームの話に戻ります。

 ご存じない方のために簡単に説明いたしますと、この「ドラゴンクエスト」というゲームは主人公が目的を達成するために数々の敵と戦い経験値やお金を稼ぎつつ多数のイベントをこなし最終的には魔王的な何者かを倒してエンディングを迎える、といったつくりになっております。(異論がある方はどうぞご寛容にお願いいたします)

 その中で、ダンジョンや廃村、牢獄などのマップ上にある骸骨のグラフィックに話しかけることで、冒頭にもあります『へんじがない。ただの しかばね のようだ』のメッセージをみることができるのです。要は、いくつかあるゲーム内の雰囲気づくりの一つというわけです。

 考え方によってはご家庭にあるインテリアのようなものとも言えますが、もしも、それらの骸骨にそれぞれストーリーがあるのだとしたらどうでしょうか? 

 ダンジョンの探索中の事故。村の流行病。厳しい獄中生活の中で…。そのようなバックグラウンドを考え、思いを馳せることで、ただの骸骨のグラフィックにも人格と物語が生まれます。はたして彼らはそこで命を落とすことを知っていたのでしょうか? おそらく、彼らの多くはそうではなかったと私は思います。

 自らの正確な寿命を知っている人はそれほど多くはない、というのは周知の事実です。そして、多くの人は身近な方を亡くした時に、命の儚さを知るのだと思います。

 ちなみにですが、私は命の儚さを考えるうえで職業柄、お通夜やご葬儀の場面を思い浮かべてしまいます。頭に浮かぶ場面は様々ありますが、今回はその中の一つをご紹介させていただこうと思います。

皆様は命の儚さを綴った文章として『白骨の御文書(御文)』というのがあるのをご存じですか? 

 この「御文書(御文)」とは浄土真宗において通夜をはじめとしたさまざまな場面で読まれるもので、浄土真宗の中興の祖ともいわれる第八世蓮如上人が浄土真宗の教えをわかりやすく信者に伝えるために簡単な文章で書き示した手紙のことです。その数はおよそ80通にものぼります。

 布教のために簡単な言葉で書いた「御文章(御文)」の中でも、『白骨の御文書(御文)』はとくに有名なものなのでご存じの方も多いかもしれません。

 

 世の無常について書かれているこの文章の中に「朝には紅顔あって夕には白骨となれる身なり」という一節があるのですが、今は血色の良い「紅顔」であってもわずかな時間のうちに死んで白骨となってしまうほどに命は儚いものであることが書かれており、命の大切さに気付いて阿弥陀如来をたより、念仏を唱えるべきことが記されています。

 かずやコスメディアの斎場のある玉名、荒尾、大牟田地域でも浄土真宗の通夜の際によく読まれています。(例外もあります)

 通夜という身近な方を亡くした状況で聞くことになるこの『御文章(御文)』は多くの方々に命の大切さを教えてくれますが、実は何気ない日々の中にも命の尊さに気づく場面はたくさんあるのかもしれません。

 「ドラゴンクエスト」に限らず、普段から我々が触れる様々なものに、実は深いメッセージを見出すことができるのかもしれませんね…考えすぎでしょうか?

 

かずやコスメディア 北原


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