心に残る司会
ほぼ毎日のように葬儀の司会を務めていると、人間の人生の終わりには様々であると思わせられる。
百歳の方のご葬儀で孫、ひ孫、玄孫まで皆が顔を合わせ共に共に涙する葬儀もあれば、どうにも諦めきれない、悲しく辛いだけの葬儀もあります。
後者の一つに「交通事故死」があげられます。
遺族にしてはやりきれない思いでいっぱいだろう。朝元気に「行ってきます」と出て行った人が、もの言わぬ人となって帰宅する。
浄土真宗の「白骨の御文章」の中で「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」と説いているが、人の世はそのようにはいかないものだと言われていても、諦めがつかないのが交通事故死である。
見ていて辛いのが葬儀の時。加害者の方がお参りに来られることがある。
どちらも号泣、もしくはうなだれて押し黙っておられる。
ある日のご葬儀。ご主人様を早くに亡くされ、母ひとり子ひとりで暮らしてこられた。息子さんが所帯を持たれてからも「息子に迷惑をかけぬように」と生活してらっしゃいましたが人生の終わりは突然訪れた。
息子さんが葬儀で涙をこらえながら、挨拶をされた。
「突然の交通事故で、まだ僕も気持ちの整理がついておりません。ですが相手の方も決して無謀な運転をなさっていたわけではなく、本当に偶然とういうか、はずみによる事故でした。大変残念ですし、悲しみが一日一日増してきていますが、僕もハンドルを握る身として、相手の方をせめきれません。皆さんもどうぞくれぐれも運転なさる時は最善の注意を払っていただければ、母も命を落とした甲斐もあるのだろうかと思います。」
お母さん、立派な息子さんに育て上げられましたね。
肩を落として遺影を抱き、霊柩車に乗り込む息子さんの心中を思い、私は手を合わせました。
かずやコスメディア 原田謙二郎