神無月と日本古来の神道
旧暦十月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれるが、これは全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国へ集まるため、各地の神社から神がいなくなるという伝承に由来する。一方、神々を迎える出雲の地では「神在月(かみありづき)」と呼び、出雲大社では「神在祭」などの神事が盛大に営まれる。この神々の集いは、人々の“縁”――つまり、結婚・誕生・死別などあらゆる関係を定める会議とされ、日本古来の死生観や葬送儀礼とも密接に関わっている。
神道において、死は「穢(けが)れ」とされ、神の世界とは異なる領域に属すると考えられてきた。そのため、古代から神職が直接葬儀を司ることは避けられ、死の場は神域から切り離された。これが、神道における葬儀が長く“非神事”として扱われた理由である。神道の基本思想では、神は清浄を好み、死は生命の終焉というよりも「現世の役割を終えて他界へ移る転生の過程」として位置づけられるが、その移行期には穢れが伴うとされた。このため、死を扱う儀礼は仏教伝来以前から「祖霊祭祀(それいさいし)」として家族や氏族単位で行われ、後の神葬祭(しんそうさい)の原型となった。
神無月に神々が留守になるという観念は、神道にとっては一種の“神的支配の空白”を意味した。この時期に葬儀を行うことは、神の加護が届かないとして忌避される地域もあった。一方、出雲の神有月では、神々が集い魂を導くとされ、死者の霊が円満に他界へ渡ると考えられた。特に出雲大社では、神在祭に合わせて祖霊を慰める「御霊祭(みたままつり)」が行われることもあり、死者の魂が神々のもとに帰るという思想が色濃く反映されている。



日本古来の神道の葬儀――すなわち神葬祭は、仏式の葬儀と異なり、冥福を祈るのではなく、故人の魂を“帰幽(きゆう)”として敬い、祖霊となって家を守護する存在へと導く儀礼である。儀式では神棚を白布で覆い、神域と死の穢れを区別する。葬場祭では「修祓(しゅばつ)」によって場を清め、故人の御霊を招く「霊前祭」が行われる。その後、埋葬祭、帰家祭、霊祭と続き、一定期間を経て“祖霊神”として祀られるようになる。こうした流れの根底には、死をもまた神々の定めた“縁の変化”として受け入れる思想が流れている。
すなわち、神無月・神在月という暦上の思想は、神道の葬儀観に象徴的な意味を与えている。神が不在の月には生と死の境界が薄れ、神々の集う出雲ではその境界が再び整えられる。死を忌みながらも、死者を祖霊として迎え入れ、やがて神の仲間入りを果たすという循環の思想――そこに、古来の神道が持つ“生命の永続性”と“清浄への回帰”という日本的死生観が凝縮されている。
かずやコスメディア 原田貴志